持明院住職ご挨拶
淵上山持明院第三十六世住職の木村盛雄と申します。
当山は、中国長安の青龍寺で修行し、日本で真言宗を開いた弘法大師空海の法燈を受け継ぐ、元慶二(878)年に創建された歴史あるお寺です。
真言宗の教えでは、宇宙に満ち溢れる生きとし生けるものが、大日如来という仏さまの大いなる智慧と慈悲によって照らされ、お互いの存在を認め助け合いながら、人生を深めることを説いています。つまり、すべてのいのちは、大日如来を中心とした仏さまと深いご縁を結んでいるのです。
今日、世界各地では、先行きの見えない未来しか思い描けないさまざまな出来事が起きています。しかしその反面、人間は、自己と他者の境を超え、「あらゆる生きとし生けるものはみな平等である」という曼荼羅精神と同じように、よりよい社会を築き、次の世代に歴史をつなぐための話し合いと実践を積み重ねてきました。
諸行無常ということばがあるように、ひとりひとりの人間を取り巻く状況は日々激変しています。そのなかで個人の力で何ができるのか。時としてその無力さを痛感し、絶望的な心に打ちひしがれることがあるかもしれません。しかし、私たちの行き着く先は、お互いが利他の心を持ち、他者しいては社会全体へ自分自身がどのような役割を果たすことができるのかにかかっています。これから私たち人間と、あらゆる生命が息づく地球の進むべき道は、ひとりひとりの実践がもたらす大きな変革の力にかかっていると思います。
人間は、つい自分本位の利己的な感情にとらわれ、怒りにかられ、他者を排除しようという誘惑に惑わされる時があります。しかしそのような状況にある時こそ、自分は、この世界に生じては消えていく生命の一部であり、さまざまな命との間で共存している存在であることを教えてくださるお大師さまの教えを知っていただければと思います。
仏教は、心を穏やかに鎮め、他者へ思いやりのなかに自己を見出し、世界平和の実現を人々の心に宿らせる、現代社会にこそ必要な素晴らしい智慧の実践なのです。
世界は、多様性に満ちており、時としてその違いにとらわれ過ぎることもありますが、一方で同じ人間として共通する部分もあることを忘れてはなりません。共通点と相違点を理解し、それによって起こる利点や問題を理解しながら、私たちに立ちはだかる苦難を克服していく努力をしていきたいと願っています。
昨今では、何かと敷居が高く、仏事がなければ訪れる機会が少ないといった声を聞くお寺ですが、現代人もまた、移り変わる日々のなか、人それぞれの悩み、苦しみ、悲しみなど不安を抱えながら生きています。当山持明院は、そうしたすべてのいのちの声に触れ、心の拠り所となるお寺を目指してまいります。
合掌