持明院について

縁 起

弘法大師像PC弘法大師像SP

淵上山持明院の歴史は、元慶二(878)年に権大僧都寂寛が秋津村の中央に松根寺を創建したことから始まる。

創建初期の状況については、ほとんど不明だが、持明院に伝わる『真言陀羅尼経光明真言一百万遍破地獄曼荼羅』には、「弘法大師、真雅僧正、源仁僧正、聖寶尊師、觀賢僧正」という寂寛上人の血脈が記されている。

記録上、松根寺の状況が把握できるのは、室町時代末期の戦国期以降からである。この時代、西院流仁和寺の御家系であった賢能上人(天正十七年三月二十一日寂)が、北条早雲の命により、熱海宗當山岸坊から成木の安楽寺に晋山する。成木安楽寺は、「菊の御紋章のお寺」と呼ばれる大寺院であり、この時期の松根寺は、安楽院の末寺であったという。

持明院の前身である松根寺は、安楽寺と周辺寺院の隠居寺院として発展したといってよい。それを物語るものとして、本堂には、賢能上人の名を中央にして右から古い順に、その法流弟子たちの名を連ねた位牌がある。安楽寺第九世賢隆上人(寛文三年九月九日寂)は、当院法印賢隆と記されている。これは、賢隆上人が安楽寺から松根寺に隠居したことを示すものと云われている。

同位牌の末には、藤澤不動院住職であった賢秀、当山の意賢、寛秀、賢泓という名が連なる。このうち、賢泓上人の墓石には、当山中興開基の文字が刻まれている。その後、安楽寺第十三世賢與上人(享保十六年二月二十七日寂)から相承した賢心上人が、享保六年三月に現在地に遷し、持明院と改称する。

本 尊

秋津不動尊 持明院
本尊 大聖不動明王

不動明王は、弘法大師空海が密教と共に日本へ伝えた「揺るぎない守護者」を意味する大日如来の化身である。
不動明王は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる。
また、外道に進もうとする者は、捕まえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う存在である。
疫病退散・災難調伏に御利益があり、庶民の守護者として信仰されている。

御真言
ノウマク  サマンダ  バザラ  ダンカン
(あまねく金剛尊に礼したてまつる)


なお、持明院には、寺宝の一つとして高村光雲作の正観音像がある。大きさは、20㎝程と小さなものだが、この世に10体しか存在しない。持明院の像は、それらよりも更に貴重なもので、見本として最初に制作されたものである。

不動明王PC不動明王SP

持明院

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