曼荼羅淵の河童
持明院は、曼荼羅淵の上にあることから山号を淵上山という。曼荼羅淵とは、持明院境内の南、崖下を流れる柳瀬川の深淵である。
その昔、曼荼羅淵に、河童が棲んでいた。
曼荼羅淵の河童には、毎年5月を過ぎた中元になると、川底の穴を通って伊草(比企郡川島町)の袈裟坊と笹井(狭山市水富)の竹坊へ人間の生き胆を贈答する通例があった。しかし、夏になると河童に襲われるというので、子どもたちは、恐れて曼荼羅淵に近づかなくなった。おまけにその年は、天候が悪く、水遊びをする者はいなくなり、河童は、困り果てた。
そんなある日、馬方が川岸に繋いでおいた馬の悲鳴を聞いた。急いで駆けつけてみると、十才の子どもくらいの姿をした河童が馬の腹に食いついていた。
馬方は急いで馬を助けて、河童を縛って持明院に連れて行った。そこで懇々と住職から人の生き胆を取るのが罪深い業であると諭された河童は、反省し、これから、この土地の人に二度と悪いことはしないという侘び証文を書き、それに手形を押して許してもらった。
しかし、河童は、証文を取られても懲りずにいたずらをしたので、今度は、持明院の住職に捕まり、「井戸に落としたものは何でも取ってくる」という約束をさせられる。以来、井戸縄が切れて釣瓶や柄杓などが落ちることがあれば、そばの池に浮かび出るようになったという。
証文は、永く持明院に伝えられていたが、明治十七年の寺の火災で焼失してしまった。
以前は、久米のほうから曼荼羅淵に行く道があったが、西武新宿線の線路でさえぎられ、今は道もない。淵はだんだん浸食されてきており、持明院側から降りるのも危険な状態で、上から竹やぶを通して覗く程度。訪れる人も殆どいなくなった。伝説の曼荼羅淵である。
【出 典】
「所沢市史 民俗」 所沢市史編纂委員会 編、所沢市
「所沢地方の民俗回顧 第3輯」 下田佐重 著/出版
『ところざわ歴史物語』6章7節「ところざわむかしむかし」